蟹〜
施設の一角···
また一人、造り上げられた。
白濁した瞳は確実に此方を意識して見詰めている。
「おはよう、15番目の食屍鬼くん。右手挙げてみて。」
徐に挙げられた右手、半端な広げ方をする掌。
「聞いた通り『素』は控えめそうだねえ。
うんでも聴力と知性が確かにあるのは判ったぞ、よし。
君にはあの地区一帯を護ってもらいたいからねえ。
身体は資本として、掌握するために何が必要かって言ったら知性だからね。」
「掌握···?」
「ん〜。言うなればヒトの悪意への対抗策、かな?
発展の代償に善意を食い潰すヒトが本当多いんだ。
喰うのは君等の領分だろう?頼むよ?」
「はい······えぇと······」
「私はウォリックだ、ウォリック博士でも博士でも構わない。
よろしく。」
右手と右手を合わすハイタッチ。
生まれたての彼に思いを託すこの男は
手入れの行き届いてなさそうな黒いウェーブヘアに
瓶底のように分厚い眼鏡で表情が見えない。
逆らう気が起こらないのは滲み出る人柄か
或いは『そういう』改造を施されたからなのか定かでないが
この思想に基いた使命に抵抗なく従わせた。
経済発展の著しい此処一帯は人口密度が瞬く間に増し
其処で飛び交うのは血腥い金ばかり。
富だけでなく人間自ら混沌を生み出す現状に···
あの博士なら嘆くとまではいかないだろうけど
せいぜい同格に扱われても困ると言った所か。
さて、2m超の巨漢は割といるものだが
人間と異形の合間で自分はどれだけ威厳を示せるのか。
15番目の食屍鬼は······
車両を手動で退ける事も、銃弾を皮1枚で遮る事も
平均的身体能力だと思いながら日々悪漢どもを捕らえていた。
日雇い警備を条件に、仮宿を転々とする日々。
偶に『証拠隠滅』の補助として喰わされる肉で延命。
そんな生活が数年続いた。
「成績は上々だけど手応えはどうかな?」
「手応えと言いますと?」
「充実感?」
「あると思いますか?」
わざと尋ねた事は目に見えていた。
充実感とは真逆、不快感が顔に表れている自覚があったから。
というのも職務をこなし依頼をこなし働けど
感謝の言葉を未だに貰ったことがない。
会話もなく睨まれ、聴こえる陰口もザラである。
「先代のイメージが拭えてないようだな〜」
「剣も振るってなければ奇行にも走っていませんが?」
「先入観は人間同士でも普通に起こる事だからさあ。
でも警戒含めたとしても食屍鬼を嫌悪し過ぎだなあ。
人食い種なんて他にもいるだろうに。」
「···ところで、俺への用件とはなんでしょうか?
こんな実のない近況報告を聞きたいだけではないのでしょう?」
「主がいると実のある生活が出来そうじゃないかい?」
その言い方だと承諾前提に話が進んでいる提案だ。
「私の知り合いからのツテでね。
警護目的で従者になってもらいたいと···
あぁ、通常の職務との優先順位は君の方で決めて構わないって。」
「話が見えてきませんね···」
「本人に会った方が早いかも。私も当人とは面識が無いんだよ〜」
だがそこに遣わすには支障が無い程度の人物なのだと。
主人を持ち、忠誠を払って遣える···
というのは同胞もやっている事だが、大体が名のある権力者の下であり
今回のように直前まで得体が知れない者を信頼に値するかと言われると···
「博士からの紹介でなければ俺は間違いなく断っていましたね。」
「お、行ってくれる?私の面子なんて気にしなくていいんだよ?」
「では何故仲介をなさったんです···?」
「強いて言えば君のためかな〜」
「博士にしては理にかなわない事を···」
「だってその人、君に感謝していたもの。」
···どういう事なのか、聞きに行くだけでも良いかもしれない。
意を決した食屍鬼である。
崩れた足場とゴミに遮られ入り口を見失っていたが
強引に割り込み、指定の部屋の階層に···
足を乗せた途端に腐った足場が一段抜けた。
···本当に此処にヒトがいるのだろうか?
そう思わせる事が隠れ蓑になっているのか?果たして。
疑問しかわかない食屍鬼は該当の部屋の扉を3回ノック。
「あ!入って入って〜!
「えっ······?」
今度は我が耳を疑った。幼ささえ感じられる若い女性の声?
部屋番号も部屋位置も間違いない事を複数回確認し、徐に入室する···
「「うわっ?!」」
お互いがお互いを見て驚愕。
「でっっっか?!思っていた100倍でっか?!」
「お、おんな···のこ?」
「失礼な、僕はこう見えても成人してるよ!」
怒る様も幼い···
物に囲まれた狭い部屋で待ち構えていたのは
黒髪碧眼の少女···いや、女性であった。
また一人、造り上げられた。
白濁した瞳は確実に此方を意識して見詰めている。
「おはよう、15番目の食屍鬼くん。右手挙げてみて。」
徐に挙げられた右手、半端な広げ方をする掌。
「聞いた通り『素』は控えめそうだねえ。
うんでも聴力と知性が確かにあるのは判ったぞ、よし。
君にはあの地区一帯を護ってもらいたいからねえ。
身体は資本として、掌握するために何が必要かって言ったら知性だからね。」
「掌握···?」
「ん〜。言うなればヒトの悪意への対抗策、かな?
発展の代償に善意を食い潰すヒトが本当多いんだ。
喰うのは君等の領分だろう?頼むよ?」
「はい······えぇと······」
「私はウォリックだ、ウォリック博士でも博士でも構わない。
よろしく。」
右手と右手を合わすハイタッチ。
生まれたての彼に思いを託すこの男は
手入れの行き届いてなさそうな黒いウェーブヘアに
瓶底のように分厚い眼鏡で表情が見えない。
逆らう気が起こらないのは滲み出る人柄か
或いは『そういう』改造を施されたからなのか定かでないが
この思想に基いた使命に抵抗なく従わせた。
経済発展の著しい此処一帯は人口密度が瞬く間に増し
其処で飛び交うのは血腥い金ばかり。
富だけでなく人間自ら混沌を生み出す現状に···
あの博士なら嘆くとまではいかないだろうけど
せいぜい同格に扱われても困ると言った所か。
さて、2m超の巨漢は割といるものだが
人間と異形の合間で自分はどれだけ威厳を示せるのか。
15番目の食屍鬼は······
車両を手動で退ける事も、銃弾を皮1枚で遮る事も
平均的身体能力だと思いながら日々悪漢どもを捕らえていた。
日雇い警備を条件に、仮宿を転々とする日々。
偶に『証拠隠滅』の補助として喰わされる肉で延命。
そんな生活が数年続いた。
「成績は上々だけど手応えはどうかな?」
「手応えと言いますと?」
「充実感?」
「あると思いますか?」
わざと尋ねた事は目に見えていた。
充実感とは真逆、不快感が顔に表れている自覚があったから。
というのも職務をこなし依頼をこなし働けど
感謝の言葉を未だに貰ったことがない。
会話もなく睨まれ、聴こえる陰口もザラである。
「先代のイメージが拭えてないようだな〜」
「剣も振るってなければ奇行にも走っていませんが?」
「先入観は人間同士でも普通に起こる事だからさあ。
でも警戒含めたとしても食屍鬼を嫌悪し過ぎだなあ。
人食い種なんて他にもいるだろうに。」
「···ところで、俺への用件とはなんでしょうか?
こんな実のない近況報告を聞きたいだけではないのでしょう?」
「主がいると実のある生活が出来そうじゃないかい?」
その言い方だと承諾前提に話が進んでいる提案だ。
「私の知り合いからのツテでね。
警護目的で従者になってもらいたいと···
あぁ、通常の職務との優先順位は君の方で決めて構わないって。」
「話が見えてきませんね···」
「本人に会った方が早いかも。私も当人とは面識が無いんだよ〜」
だがそこに遣わすには支障が無い程度の人物なのだと。
主人を持ち、忠誠を払って遣える···
というのは同胞もやっている事だが、大体が名のある権力者の下であり
今回のように直前まで得体が知れない者を信頼に値するかと言われると···
「博士からの紹介でなければ俺は間違いなく断っていましたね。」
「お、行ってくれる?私の面子なんて気にしなくていいんだよ?」
「では何故仲介をなさったんです···?」
「強いて言えば君のためかな〜」
「博士にしては理にかなわない事を···」
「だってその人、君に感謝していたもの。」
···どういう事なのか、聞きに行くだけでも良いかもしれない。
意を決した食屍鬼である。
崩れた足場とゴミに遮られ入り口を見失っていたが
強引に割り込み、指定の部屋の階層に···
足を乗せた途端に腐った足場が一段抜けた。
···本当に此処にヒトがいるのだろうか?
そう思わせる事が隠れ蓑になっているのか?果たして。
疑問しかわかない食屍鬼は該当の部屋の扉を3回ノック。
「あ!入って入って〜!
「えっ······?」
今度は我が耳を疑った。幼ささえ感じられる若い女性の声?
部屋番号も部屋位置も間違いない事を複数回確認し、徐に入室する···
「「うわっ?!」」
お互いがお互いを見て驚愕。
「でっっっか?!思っていた100倍でっか?!」
「お、おんな···のこ?」
「失礼な、僕はこう見えても成人してるよ!」
怒る様も幼い···
物に囲まれた狭い部屋で待ち構えていたのは
黒髪碧眼の少女···いや、女性であった。
「···と、所で俺は主となる人を聞きつけて遣ってきたのだが」
「僕がそうだよ!」
「な······」
そこでようやく立ち上がる。人種的に成人女性としては平均的···か?
此方のが遥かに厳つく巨体だというのに、食屍鬼は気押しされていた。
脅迫されているわけではない、とにかく威勢が良い。
「僕の事はチカって呼んでほしい。君は?」
「俺にはまだ名が無い。与えられていない。」
「まだ無いの?!でも他のヒトからなんて呼ばれてた?」
「『食屍鬼』だとか製造番号の『No.15』だ。」
「『No.15』···じゅうご、だと愛嬌無いなあ。『イチゴ』とかどう?」
「待て···勝手に話を進めるなよ。」
主として彼女を認めるには早すぎる。
成人にしては幼く、住居を見るに経済力も怪しく、得体が知れなさすぎる。
喋り方も独特だ。唯一大人らしいのは胸囲ぐらいだ。
「ああ、そうか!これはうっかり!
自己紹介の流れで名乗り合うつもりが主の権限を早速使うとこだったよ。」
「主なら確かに命名権もあるが···。」
「だよね〜。一先ず置いといて。」
とりあえずお互い床に腰を下ろす。彼女の首を痛めないように。
腰を据えて話し込むにはあまりにも体格差がありすぎた。
「僕はこう見えて探偵なんだ。
世のため人のため、そして食屍鬼のため事件を解決しようと
探偵を始めてはや数年さ。」
「探偵、ね···。実績は?」
「えーと···最近だと浮気調査だなあ。浮気の浮気の浮気まで見つけた。」
「浮気···ルガリーシ夫人のやつか···?」
「よく知ってるね?!」
「関係者の『遺体の処理』を任されたからな。」
首吊りだったので『処理』は楽な方だった。
だが騒動の中でチカの存在を聞いてはいない。
詳細を把握している以上虚偽とも思えない。
···憶測だが、調査を依頼したはいいが小娘に頼った事実を伏せたくて
それなりの権力者である依頼者がねじ伏せたのだろう。
「一人で突き詰めたならまあまあ···か。どんな異能を使ったんだ?」
「異能?使ってないよ?そもそも無いよ。
僕の知識と経験さ。強いて言えば才能ってとこかな。」
惚けているなら大したものだが。
異能···もとい特殊な力無くして、後ろ盾も特に無い探偵業···
暴力と狂気で支配されたアザルシスではあまりにも無謀だ。
それでも探偵業を始めてから数年、無名とはいえ生きているのだから
細やかな活躍を重ねて食い繋ぐ実力はある。そんな所か。
「···何故かわからないが、俺に感謝していたらしいな?
俺を起用した理由と合わせて真意を教えてくれ。」
「え〜?だって爆破テロリスト壊滅とか、偽呪術師逮捕の件とか
凶悪犯を何人も倒したり捕まえたり無力化したんじゃないか。
悲しいかな、ああいった大きな事件の主犯格って
大体が強い権力に心酔していたり、逆に捨てるのが身しかない人とか
聞く耳も持ってくれないから、話があまり通じないんだ。
でも君は解決してくれた、多くの人が助けられたんだ。
だから皆に代わって感謝したい、ありがとう!
そしてそんな君から協力を得たいし、君を僕は護りたい。」
「護りたい···?」
聞きたい事は聞けたと思った矢先に。
こればかりは予想だにもしていなかった。
痩せ細の女性が骨格逞しい大男を護るとは、どういう風の吹き回しだろうか。
「そんな君の活躍を快く思っていない人等の盲言だと思われるけど
度々耳にする誘拐事件、食屍鬼の犯行だと噂する人がいるようでね。」
「なんだと···他の個体は知らないが俺はやっていないぞ。
人食いはするにはするが素性を知り承諾を得た上で、だ。」
「そもそも犯行に食屍鬼が関わってすらいない可能性もあるよ。
誘拐された人があまりにも見つからない事から
喰われてしまったんだろうって、早とちりな発想さ。」
「そんな無闇に食い漁っていたら俺達は処分されているぞ···」
複製魔族の一種である食屍鬼達は、人食いをせねば衰弱死してしまう。
なので人間の絶対数確保の為に人間を守る事が義務付けられている。
私利私欲で食い漁る個体は今の所(恐らく)いないが
社会貢献も出来ぬ危険因子と見做され殺処分される運命だ。
「でしょ?だから僕は思うんだ。
これは取るに足らない噂か、或いは逆にとても大きな力が動いているか···!
後者だとしたら君を一人にするのは危険だと思って」
「だが囮捜査にも使えそうだと思って手中に収めたいと?」
「うっ···言い方は悪いけどそうなってしまうのかな。」
「危険なのはお前の方だ、その話から降りろ。」
「降りれないよ、これは譲れない!」
頑なだ。そんな彼女に苛立つ食屍鬼。
力業が使えない相手ほど厄介な者はいない。
「僕がまだ無名だからこそ深入りできると思うんだ!
頼むよ、力を貸してほしい!
そして関わったヒトをこれ以上失いたくない!」
「誰かいなくなったのか?なら尚更···」
「僕が探偵を始める前から、友達が消えている。
僕達には親がいない、家族のように仲良くしていたのに。
事件現場に同じ車両や怪しい人はいたはずなのに、全て揉み消された。」
ヒトが起こした闇に既に巻き込まれていたようだ。
···だが、彼女は、独りで戦い続けていた。
「僕がそうだよ!」
「な······」
そこでようやく立ち上がる。人種的に成人女性としては平均的···か?
此方のが遥かに厳つく巨体だというのに、食屍鬼は気押しされていた。
脅迫されているわけではない、とにかく威勢が良い。
「僕の事はチカって呼んでほしい。君は?」
「俺にはまだ名が無い。与えられていない。」
「まだ無いの?!でも他のヒトからなんて呼ばれてた?」
「『食屍鬼』だとか製造番号の『No.15』だ。」
「『No.15』···じゅうご、だと愛嬌無いなあ。『イチゴ』とかどう?」
「待て···勝手に話を進めるなよ。」
主として彼女を認めるには早すぎる。
成人にしては幼く、住居を見るに経済力も怪しく、得体が知れなさすぎる。
喋り方も独特だ。唯一大人らしいのは胸囲ぐらいだ。
「ああ、そうか!これはうっかり!
自己紹介の流れで名乗り合うつもりが主の権限を早速使うとこだったよ。」
「主なら確かに命名権もあるが···。」
「だよね〜。一先ず置いといて。」
とりあえずお互い床に腰を下ろす。彼女の首を痛めないように。
腰を据えて話し込むにはあまりにも体格差がありすぎた。
「僕はこう見えて探偵なんだ。
世のため人のため、そして食屍鬼のため事件を解決しようと
探偵を始めてはや数年さ。」
「探偵、ね···。実績は?」
「えーと···最近だと浮気調査だなあ。浮気の浮気の浮気まで見つけた。」
「浮気···ルガリーシ夫人のやつか···?」
「よく知ってるね?!」
「関係者の『遺体の処理』を任されたからな。」
首吊りだったので『処理』は楽な方だった。
だが騒動の中でチカの存在を聞いてはいない。
詳細を把握している以上虚偽とも思えない。
···憶測だが、調査を依頼したはいいが小娘に頼った事実を伏せたくて
それなりの権力者である依頼者がねじ伏せたのだろう。
「一人で突き詰めたならまあまあ···か。どんな異能を使ったんだ?」
「異能?使ってないよ?そもそも無いよ。
僕の知識と経験さ。強いて言えば才能ってとこかな。」
惚けているなら大したものだが。
異能···もとい特殊な力無くして、後ろ盾も特に無い探偵業···
暴力と狂気で支配されたアザルシスではあまりにも無謀だ。
それでも探偵業を始めてから数年、無名とはいえ生きているのだから
細やかな活躍を重ねて食い繋ぐ実力はある。そんな所か。
「···何故かわからないが、俺に感謝していたらしいな?
俺を起用した理由と合わせて真意を教えてくれ。」
「え〜?だって爆破テロリスト壊滅とか、偽呪術師逮捕の件とか
凶悪犯を何人も倒したり捕まえたり無力化したんじゃないか。
悲しいかな、ああいった大きな事件の主犯格って
大体が強い権力に心酔していたり、逆に捨てるのが身しかない人とか
聞く耳も持ってくれないから、話があまり通じないんだ。
でも君は解決してくれた、多くの人が助けられたんだ。
だから皆に代わって感謝したい、ありがとう!
そしてそんな君から協力を得たいし、君を僕は護りたい。」
「護りたい···?」
聞きたい事は聞けたと思った矢先に。
こればかりは予想だにもしていなかった。
痩せ細の女性が骨格逞しい大男を護るとは、どういう風の吹き回しだろうか。
「そんな君の活躍を快く思っていない人等の盲言だと思われるけど
度々耳にする誘拐事件、食屍鬼の犯行だと噂する人がいるようでね。」
「なんだと···他の個体は知らないが俺はやっていないぞ。
人食いはするにはするが素性を知り承諾を得た上で、だ。」
「そもそも犯行に食屍鬼が関わってすらいない可能性もあるよ。
誘拐された人があまりにも見つからない事から
喰われてしまったんだろうって、早とちりな発想さ。」
「そんな無闇に食い漁っていたら俺達は処分されているぞ···」
複製魔族の一種である食屍鬼達は、人食いをせねば衰弱死してしまう。
なので人間の絶対数確保の為に人間を守る事が義務付けられている。
私利私欲で食い漁る個体は今の所(恐らく)いないが
社会貢献も出来ぬ危険因子と見做され殺処分される運命だ。
「でしょ?だから僕は思うんだ。
これは取るに足らない噂か、或いは逆にとても大きな力が動いているか···!
後者だとしたら君を一人にするのは危険だと思って」
「だが囮捜査にも使えそうだと思って手中に収めたいと?」
「うっ···言い方は悪いけどそうなってしまうのかな。」
「危険なのはお前の方だ、その話から降りろ。」
「降りれないよ、これは譲れない!」
頑なだ。そんな彼女に苛立つ食屍鬼。
力業が使えない相手ほど厄介な者はいない。
「僕がまだ無名だからこそ深入りできると思うんだ!
頼むよ、力を貸してほしい!
そして関わったヒトをこれ以上失いたくない!」
「誰かいなくなったのか?なら尚更···」
「僕が探偵を始める前から、友達が消えている。
僕達には親がいない、家族のように仲良くしていたのに。
事件現場に同じ車両や怪しい人はいたはずなのに、全て揉み消された。」
ヒトが起こした闇に既に巻き込まれていたようだ。
···だが、彼女は、独りで戦い続けていた。
博士が何故詳細を伏せて紹介したのかよく判った。
知り合いのツテとは言ったが、その知り合いは厄介払いのつもりだ。
適当な人物に任せたらこの探偵気取りも誘拐の被害に遭いかねない。
無闇な人食いイメージを拭うためのカモフラージュも兼ねて
食屍鬼を警護に当てた、そんな所だろう。
「···で、君の意見はどうなんだい?」
顔が迫る。澄んだ碧い瞳に映るのは青肌の顔。
「···俺を呼ぶなら一先ずその『イチゴ』でいい。」
「おおっ?!それってもしや」
「俺の管轄の中にお前の行動範囲がある以上放っておけない。」
「うわ〜やった〜!よろしく頼むよ、イチゴくん!」
体いっぱい抱きついて歓喜を示す、そんなチカの行動に動揺を隠せない。
だが、そういえば···殴り合う以外で触れ合うのは初めてかもしれない···
生きた人間はこうも温かいものか。それと柔らかい。
「···あ!このままだと狭くて動きにくいよね!今片付けるよ!」
後ろ手を回す間もなく離れると周囲にある物をまとめ始めた。
部屋が狭い自覚はあったようだ。
前以て片付けなかったのは恐らく、断られる可能性も考慮したから。
···散乱していた物を見るに
安価な私物が多い一方で趣味と思われる物が多数と言うことは
衣食住よりも趣味に生きる性分なのが伺える。
薄着というかほぼ下着姿であるし、線が細い。
飯は食えているのだろうか?
住まいだけでなく体調管理も怪しい···
疑問は尽きないが、不安や不満は無い。
むしろ···『何か』が軽くなった。
それが求めていたモノだとイチゴが気づくのは、もう少し後になってから···
「チカ、ドライヤーは?」
「無いよ〜勿体無いから買ってないよ〜」
「風邪ひいたらどうすんだ全く···」
タオルでわしわし拭くとぐわんぐわん動く頭。
「ああ〜画面が見えない押し損ねる〜」
「後でやったらどうだ?」
「今ログボに期間限定モノがあってえ
って?!あああ水滴が勝手にポチッてキャンセルしちゃったああ」
阿鼻叫喚、後頭部をイチゴの胸部に押し付ける。
イチゴの膝はもうチカの特等席だ。
高さや硬さがちょうど良い。狭い部屋で偶に共同作業もするので何かと都合が良い。
「どういう訳か今回は報酬が多かったので
今度のショッピングは奮発するよ!」
「妥当じゃないか?鮮やかだったぞ、チカの推理。」
「イチゴくんのフォローがあったからさ!」
「大した事はしてないぞ、俺は。」
難聴を悪用され強盗殺人の濡れ衣を着せられそうになった被害者の
無実の罪を晴らし真犯人を特定しただけでなく
長年身内からの冷遇が続いていた事まで見事に暴いてみせた。
彼女の鋭い洞察力と純粋な推理力が功を成したのだ。
イチゴがやった事と言えば所々の補助と
報酬を出し渋ろうとした依頼主を睨みつけた程度。
「それにしても、お前は本当に異能抜きでやり通すんだな。」
「普通の事じゃない?」
「そうか···?正直俺はお前から初めて話を聞いた時から
奥の手でも隠しているのだと思い続けていたんだが」
「えっそう来たか〜!僕は本当に特別な力は無いよ。
人よりちょっと頭が冴えてちょっと雑学に触れてる程度だよ。
それでも解決できる事は世の中沢山あるんだ。」
「そういうものかね···」
「そういうものだよ。
人が引き起こした事件なら、人を辿れば辿り着くものさ。
異能は手段の一つ、僕は動機の方に重きを置いているんだ。」
「そうか···そうかもな。」
言い得て妙である。
確かに事件を起こすのは人間か。
人成らざるものが起こすのは異変や災害であり、チカの出る幕ではない。
「でも否定するわけじゃないよ。やっぱり便利だろうし。
ねえ、イチゴくんは異能あるのかい?」
「まあな。」
「どんなタイプ?戦う系?便利系?大体でいいから教えてほしいな。
異能による超常現象が起きた場合君も疑わなくちゃならないから。」
「ふふ、そう来たか。俺のは戦う系だ。それも割とシンプルな物。」
びっちり落書きされ役目を果たしていない標識を指差す。
チカが不思議そうに見詰める中、突如光る指先。
轟音が鳴ったとほぼ同時に標識は宙を舞い、棒立てだけが残った。
その時、チカの瞳もときめきにより輝いていた···!
「溜め無し即射ちだとこんな所か。俺のは射撃だ。
貫通力はある程度調整できるとして
特徴的なのは一度マーキングした箇所を再度撃つ度に威力や精度が増す。」
「す、凄いじゃないか!かっこいい!!
ねえねえ、一体何を飛ばしてるんだい?!霊力?気?オーラ?」
「魔力。」
「魔力と来たか〜!君は本当凄いな!
ただでさえ誰よりも腕力が強いのに遠距離までカバーできるのか!
スキがなくて最強じゃないか!!」
スキはあるし最強でもない。
現にチカの前で曝け出してしまっている。
しかしこうして、無邪気に燥いで抱き付くチカを見ていると
彼女の前では最強であり続けたいと思えた。
衣服を買う···
というから市場に向かうものだとばかり思っていたが
通信販売で済ますらしい。そしていざ届いた物は
「···でかすぎないか?」
「これで良いのだ!」
オーダーメイドの黒いキャスケット帽に黒いコート。
帽子はがばがばに垂れ下がり、裾は床を這う。
チカの体型に対して明らかに大きすぎる。
「これで探偵っぽく見えるだろう?!」
「ああ···まあ、そうだな···」
「なんだか微妙な反応だなあ?!」
「いや、ええと···気にしていたのか···」
「そりゃあもう!
君が探偵で僕が助手、という誤解が広まりつつあったしね!」
助手どころかチカを養子と勘違いされた事も何度かあった。
彼女の名誉のために伏せておくが
本題である推理に入る前に説明を挟むのも億劫になっていた所である。
「黒星探偵チカ、参上!」
「はあ?どうした、自虐か?」
「おっと、言葉足らずで意味が伝わらなかったな!
犯罪者を地に伏せ黒星を与える黒星探偵、チカ参上!」
ポーズなどキメて最高に浮かれている···
本人が気に入ったようなので一先ず良しとした。
ただし、これで一度でも躓いたら脱がすつもりだ。
知り合いのツテとは言ったが、その知り合いは厄介払いのつもりだ。
適当な人物に任せたらこの探偵気取りも誘拐の被害に遭いかねない。
無闇な人食いイメージを拭うためのカモフラージュも兼ねて
食屍鬼を警護に当てた、そんな所だろう。
「···で、君の意見はどうなんだい?」
顔が迫る。澄んだ碧い瞳に映るのは青肌の顔。
「···俺を呼ぶなら一先ずその『イチゴ』でいい。」
「おおっ?!それってもしや」
「俺の管轄の中にお前の行動範囲がある以上放っておけない。」
「うわ〜やった〜!よろしく頼むよ、イチゴくん!」
体いっぱい抱きついて歓喜を示す、そんなチカの行動に動揺を隠せない。
だが、そういえば···殴り合う以外で触れ合うのは初めてかもしれない···
生きた人間はこうも温かいものか。それと柔らかい。
「···あ!このままだと狭くて動きにくいよね!今片付けるよ!」
後ろ手を回す間もなく離れると周囲にある物をまとめ始めた。
部屋が狭い自覚はあったようだ。
前以て片付けなかったのは恐らく、断られる可能性も考慮したから。
···散乱していた物を見るに
安価な私物が多い一方で趣味と思われる物が多数と言うことは
衣食住よりも趣味に生きる性分なのが伺える。
薄着というかほぼ下着姿であるし、線が細い。
飯は食えているのだろうか?
住まいだけでなく体調管理も怪しい···
疑問は尽きないが、不安や不満は無い。
むしろ···『何か』が軽くなった。
それが求めていたモノだとイチゴが気づくのは、もう少し後になってから···
「チカ、ドライヤーは?」
「無いよ〜勿体無いから買ってないよ〜」
「風邪ひいたらどうすんだ全く···」
タオルでわしわし拭くとぐわんぐわん動く頭。
「ああ〜画面が見えない押し損ねる〜」
「後でやったらどうだ?」
「今ログボに期間限定モノがあってえ
って?!あああ水滴が勝手にポチッてキャンセルしちゃったああ」
阿鼻叫喚、後頭部をイチゴの胸部に押し付ける。
イチゴの膝はもうチカの特等席だ。
高さや硬さがちょうど良い。狭い部屋で偶に共同作業もするので何かと都合が良い。
「どういう訳か今回は報酬が多かったので
今度のショッピングは奮発するよ!」
「妥当じゃないか?鮮やかだったぞ、チカの推理。」
「イチゴくんのフォローがあったからさ!」
「大した事はしてないぞ、俺は。」
難聴を悪用され強盗殺人の濡れ衣を着せられそうになった被害者の
無実の罪を晴らし真犯人を特定しただけでなく
長年身内からの冷遇が続いていた事まで見事に暴いてみせた。
彼女の鋭い洞察力と純粋な推理力が功を成したのだ。
イチゴがやった事と言えば所々の補助と
報酬を出し渋ろうとした依頼主を睨みつけた程度。
「それにしても、お前は本当に異能抜きでやり通すんだな。」
「普通の事じゃない?」
「そうか···?正直俺はお前から初めて話を聞いた時から
奥の手でも隠しているのだと思い続けていたんだが」
「えっそう来たか〜!僕は本当に特別な力は無いよ。
人よりちょっと頭が冴えてちょっと雑学に触れてる程度だよ。
それでも解決できる事は世の中沢山あるんだ。」
「そういうものかね···」
「そういうものだよ。
人が引き起こした事件なら、人を辿れば辿り着くものさ。
異能は手段の一つ、僕は動機の方に重きを置いているんだ。」
「そうか···そうかもな。」
言い得て妙である。
確かに事件を起こすのは人間か。
人成らざるものが起こすのは異変や災害であり、チカの出る幕ではない。
「でも否定するわけじゃないよ。やっぱり便利だろうし。
ねえ、イチゴくんは異能あるのかい?」
「まあな。」
「どんなタイプ?戦う系?便利系?大体でいいから教えてほしいな。
異能による超常現象が起きた場合君も疑わなくちゃならないから。」
「ふふ、そう来たか。俺のは戦う系だ。それも割とシンプルな物。」
びっちり落書きされ役目を果たしていない標識を指差す。
チカが不思議そうに見詰める中、突如光る指先。
轟音が鳴ったとほぼ同時に標識は宙を舞い、棒立てだけが残った。
その時、チカの瞳もときめきにより輝いていた···!
「溜め無し即射ちだとこんな所か。俺のは射撃だ。
貫通力はある程度調整できるとして
特徴的なのは一度マーキングした箇所を再度撃つ度に威力や精度が増す。」
「す、凄いじゃないか!かっこいい!!
ねえねえ、一体何を飛ばしてるんだい?!霊力?気?オーラ?」
「魔力。」
「魔力と来たか〜!君は本当凄いな!
ただでさえ誰よりも腕力が強いのに遠距離までカバーできるのか!
スキがなくて最強じゃないか!!」
スキはあるし最強でもない。
現にチカの前で曝け出してしまっている。
しかしこうして、無邪気に燥いで抱き付くチカを見ていると
彼女の前では最強であり続けたいと思えた。
衣服を買う···
というから市場に向かうものだとばかり思っていたが
通信販売で済ますらしい。そしていざ届いた物は
「···でかすぎないか?」
「これで良いのだ!」
オーダーメイドの黒いキャスケット帽に黒いコート。
帽子はがばがばに垂れ下がり、裾は床を這う。
チカの体型に対して明らかに大きすぎる。
「これで探偵っぽく見えるだろう?!」
「ああ···まあ、そうだな···」
「なんだか微妙な反応だなあ?!」
「いや、ええと···気にしていたのか···」
「そりゃあもう!
君が探偵で僕が助手、という誤解が広まりつつあったしね!」
助手どころかチカを養子と勘違いされた事も何度かあった。
彼女の名誉のために伏せておくが
本題である推理に入る前に説明を挟むのも億劫になっていた所である。
「黒星探偵チカ、参上!」
「はあ?どうした、自虐か?」
「おっと、言葉足らずで意味が伝わらなかったな!
犯罪者を地に伏せ黒星を与える黒星探偵、チカ参上!」
ポーズなどキメて最高に浮かれている···
本人が気に入ったようなので一先ず良しとした。
ただし、これで一度でも躓いたら脱がすつもりだ。
遠方からの依頼。悪路も相俟ってレンタカーでの移動を余儀なくされる。
車両での移動はチカには久々で、本来なら燥いでいた所だが
顰め面で淡々と運転をしているイチゴが空気を重くし、それどころではなかった。
彼の機嫌が悪いのは依頼先でのひと悶着が原因である。
マフィアが絡むやや危険な現場だったのは承知であったが
依頼主とその部下達に、チカに色目を使う者や下品な応対をする者
挙げ句目の前で連れ込もうとした輩がいたのだ。
その挑発的行動に堪忍袋の緒が切れたイチゴは···
息があったから命だけは助かっていると信じたいが
その場にいた者を全員動かなくなるほど殴り倒したので
組織としては半壊させてしまった可能性すらある。
車も返却し、無事帰宅も果たす。
雨が振り、暗い夜が益々暗くなる。アザルシスの雨は臭くて汚い。
屋内まで汚されないようしっかり戸締まりをする。
「······すまなかった。」
「へ?」
そろそろ就寝の時間と思い布団を敷き始めた時である。
久々に出た言葉はイチゴからの謝罪だ。
「ようやく掴み始めた誘拐魔への足掛かりがこれで絶たれでもしたら···」
「ええっ?!そ、それを気にしていたのかい?!僕はてっきり」
「ああ、勿論チカに手を出した輩にキレたのはそうだ。
だが俺は俺自身も許せなくてだな···軽率な真似をしてしまった。
暴力でしかねじ伏せれない俺はお前の好機すら潰し···」
「しっかりしたまえ、僕の力が及ばない時の君の出番じゃあないか!」
持っていた物を横に全て投げ飛ばす。
柄にもなく塩らしい様子に不安を覚え、詰め寄る。
「···それとも、嫌になったのかい?」
「好きだ、仕事もチカも。」
「そ······んん??」
「だから完璧にこなしたかった、だが俺も不器よ···」
「待って、今、なんて言った?仕事も、以外のとこ」
「チカも好きだ。」
「ちょ、そ、それは···likeの方、だよね?」
「いや?本心からだぞ。」
「んびゃあああ?!」
雨音に混じり響く絶叫。発狂しながら赤面しながら悶えるチカ。
その有様を前に、イチゴはかえって冷静になれた。
「···嫌だったか?」
「そそそんなわけないだろうー?!
う、嬉しいに、決まってるじゃないか?!
君から!ド好みの君から!夢から飛び出したみたいに理想的な君からだぞ!
君の主になれるって思った時からずっとドキドキしてたのに!」
そういえば主従関係だった。
お互い対等に接し続けていたため忘れかけていた。
「じゃあ嫌で泣いたわけじゃないんだな。」
こくり、と頷く。
滝の様に溢れ出る涙。嬉し涙にしては取り乱しすぎな気もする。
チカの素性は未だ知らない部分も多く、問い詰めたい所だが
とにかく先ずは落ち着かせたく···抱き寄せた。
食屍鬼は流す涙がない。感情の欠落ではなく、体質の問題。
それ故か、ヒトの涙は沁みる···
···そんな穏やかな空気を遮ったのは端末に届いた一本の着信。
仕事用の端末、相手は例のマフィアから。
無言で視線を合わせ、頷き、イチゴが応答する。
今のチカは対応できる状態ではない。
「···なんだ?」
「お、ダンナか。
そう凄むな、あんたと喧嘩なんてできねえよ。この有様を見たらさ」
「お前は···あの時いなかったな?」
貫禄のある、低く響く中年の声。
若い連中にはなかった滲み出る気迫ですぐに実力者だと判った。
「ああ、というのも俺が留守の間に騒ぎを起こしたみてえだな。
若頭補佐は俺だが、部下が成りきっていてよ。
うちの馬鹿共が勝手な真似をしていたのは謝るぜ。」
当初から話も所々矛盾があり、束ねる風格もないと怪しんではいたが
それは相手が影武者を使っていたわけでなく
勝手に若頭補佐を名乗っていたチンピラの仕業であったという。
「そう言われてしまうと···俺も少々やり過ぎたな。」
「はっはっは、少々どころじゃねえやい!
だがこいつ等の頭冷やすのに丁度良かったさ。
むしろオレは筋を通すあんた等が気に入ってよ。
古株とはいえ組では端から数えた方が早いオレだが
手伝える事があったら言ってくれねえかい?」
「それは···協力を申し出てくれたと解釈していいのか?」
「そうだ。
アウトロー方面で困った事があったら月季のロサって名前を出しな。
通用するエリアを有効活用してくれ。」
「古くても薔薇の名を授かった株が落ちぶれるわけなかろう。
ありがとう、助かる。」
誘拐魔の所属組織は根が太い強大な反社会的組織らしく
幹部クラスや身内に薔薇の名が与えられているのだ。
頼もしい人脈に恵まれ、二人はようやく安堵を取り戻した。
車両での移動はチカには久々で、本来なら燥いでいた所だが
顰め面で淡々と運転をしているイチゴが空気を重くし、それどころではなかった。
彼の機嫌が悪いのは依頼先でのひと悶着が原因である。
マフィアが絡むやや危険な現場だったのは承知であったが
依頼主とその部下達に、チカに色目を使う者や下品な応対をする者
挙げ句目の前で連れ込もうとした輩がいたのだ。
その挑発的行動に堪忍袋の緒が切れたイチゴは···
息があったから命だけは助かっていると信じたいが
その場にいた者を全員動かなくなるほど殴り倒したので
組織としては半壊させてしまった可能性すらある。
車も返却し、無事帰宅も果たす。
雨が振り、暗い夜が益々暗くなる。アザルシスの雨は臭くて汚い。
屋内まで汚されないようしっかり戸締まりをする。
「······すまなかった。」
「へ?」
そろそろ就寝の時間と思い布団を敷き始めた時である。
久々に出た言葉はイチゴからの謝罪だ。
「ようやく掴み始めた誘拐魔への足掛かりがこれで絶たれでもしたら···」
「ええっ?!そ、それを気にしていたのかい?!僕はてっきり」
「ああ、勿論チカに手を出した輩にキレたのはそうだ。
だが俺は俺自身も許せなくてだな···軽率な真似をしてしまった。
暴力でしかねじ伏せれない俺はお前の好機すら潰し···」
「しっかりしたまえ、僕の力が及ばない時の君の出番じゃあないか!」
持っていた物を横に全て投げ飛ばす。
柄にもなく塩らしい様子に不安を覚え、詰め寄る。
「···それとも、嫌になったのかい?」
「好きだ、仕事もチカも。」
「そ······んん??」
「だから完璧にこなしたかった、だが俺も不器よ···」
「待って、今、なんて言った?仕事も、以外のとこ」
「チカも好きだ。」
「ちょ、そ、それは···likeの方、だよね?」
「いや?本心からだぞ。」
「んびゃあああ?!」
雨音に混じり響く絶叫。発狂しながら赤面しながら悶えるチカ。
その有様を前に、イチゴはかえって冷静になれた。
「···嫌だったか?」
「そそそんなわけないだろうー?!
う、嬉しいに、決まってるじゃないか?!
君から!ド好みの君から!夢から飛び出したみたいに理想的な君からだぞ!
君の主になれるって思った時からずっとドキドキしてたのに!」
そういえば主従関係だった。
お互い対等に接し続けていたため忘れかけていた。
「じゃあ嫌で泣いたわけじゃないんだな。」
こくり、と頷く。
滝の様に溢れ出る涙。嬉し涙にしては取り乱しすぎな気もする。
チカの素性は未だ知らない部分も多く、問い詰めたい所だが
とにかく先ずは落ち着かせたく···抱き寄せた。
食屍鬼は流す涙がない。感情の欠落ではなく、体質の問題。
それ故か、ヒトの涙は沁みる···
···そんな穏やかな空気を遮ったのは端末に届いた一本の着信。
仕事用の端末、相手は例のマフィアから。
無言で視線を合わせ、頷き、イチゴが応答する。
今のチカは対応できる状態ではない。
「···なんだ?」
「お、ダンナか。
そう凄むな、あんたと喧嘩なんてできねえよ。この有様を見たらさ」
「お前は···あの時いなかったな?」
貫禄のある、低く響く中年の声。
若い連中にはなかった滲み出る気迫ですぐに実力者だと判った。
「ああ、というのも俺が留守の間に騒ぎを起こしたみてえだな。
若頭補佐は俺だが、部下が成りきっていてよ。
うちの馬鹿共が勝手な真似をしていたのは謝るぜ。」
当初から話も所々矛盾があり、束ねる風格もないと怪しんではいたが
それは相手が影武者を使っていたわけでなく
勝手に若頭補佐を名乗っていたチンピラの仕業であったという。
「そう言われてしまうと···俺も少々やり過ぎたな。」
「はっはっは、少々どころじゃねえやい!
だがこいつ等の頭冷やすのに丁度良かったさ。
むしろオレは筋を通すあんた等が気に入ってよ。
古株とはいえ組では端から数えた方が早いオレだが
手伝える事があったら言ってくれねえかい?」
「それは···協力を申し出てくれたと解釈していいのか?」
「そうだ。
アウトロー方面で困った事があったら月季のロサって名前を出しな。
通用するエリアを有効活用してくれ。」
「古くても薔薇の名を授かった株が落ちぶれるわけなかろう。
ありがとう、助かる。」
誘拐魔の所属組織は根が太い強大な反社会的組織らしく
幹部クラスや身内に薔薇の名が与えられているのだ。
頼もしい人脈に恵まれ、二人はようやく安堵を取り戻した。